尾道セパタクローJrの概要
目指す子どもたちの成長
練習日時・場所・持ち物・服装
コーチングスタッフ紹介
入部の条件
セパタクローというスポーツを通して以下のような子どもたちの成長を目指します。
- 体を動かすことの楽しさを知る。
- 年齢や学校のわくを超えて,幅広い交友関係を築く。
- チームスポーツを通して他人を大切にする心を育てる。
現在,日本でセパタクローができる環境というのは限られています。そのためほとんどの人が大学に入学してからセパタクローを
始め,日本代表選手を選出している状況です。選手の層は近年厚くなってはきているものの,まだまだ発展途上のスポーツです。
そのセパタクローを小学生のうちから始めることができるというのは,今後の日本セパタクロー界にとっても大変意義深いものです。
(ちなみに現在小学生でセパタクローができる環境にあるのは,尾道が3例目です。)
練習日・練習場所・持ち物・服装
近日決定☆もうちばらくお待ちください。
コーチングスタッフ
寺本 進(てらもと すすむ)
高校3年の夏、地元広島でセパタクローの大会が行われたことがきっかけでこの競技の存在を知った。
サッカー部監督の薦めで参加した大会で、華麗で豪快な足技をまのあたりにし衝撃を受ける。
セパタクロー協会から若さと才能を買われ、後に行われた強化合宿、セパタクロー世界選手権に選出される。
そこでスポーツを通じて世界を舞台に活動することに心を打たれ、セパタクローに転身することを決意する。
平成6年セパタクローの一芸一能入試で亜細亜大学に入学。再び日本代表として世界の舞台に立つべく練習に明け暮れる。
その努力とこだわりによって才能を開花さ、国内大会では優勝を重ねセパタクロー寺本進の存在を確立させた。
大学2年で再び日本代表入りし、日本のエースとして君臨。世界大会では、最下位を争っていた日本チームであったが、
いきなりグループCで優勝しグループBに昇格。その後グループB3位を飾ると、翌年には優勝。
そしてついに、世界のトップの舞台グループAへと、ここ数年で急成長をはかる日本チームの立て役者として活躍してきた。
2002年・釜山アジア大会で、サークルゲームにより念願の銅メダルを獲得。
アジア大会でのメダル獲得という大きな目標を達成したが、セパタクローに対する思いは冷めることなく、
2004年再び更なる高みを目指して一人タイに出る。そこでタイのプロチームの練習に飛び込みで参加。
監督に評価をもらい、突然チームへの入団が決まった。これまで前例の無い初の外国人選手としてプロリーグに参加。
遠いタイの地で日本人一人世界最高レベルに挑戦の日々は続いている。
寺本進選手HP「セパタクローに翔蹴る!」より
※寺本さんは年に数回だけ「技術講習会」という形で教えに来てくださいます。
泉 昌吾(いずみ しょうご)
高校生のころたまたまつけたテレビ番組で10分程度のセパタクローの特集を見る。そこで紹介されていた寺本選手のアクロバティックかつ
繊細な足技に感動。大学に入ったらセパタクローを始めようと決意する。
しかし,当時大学でセパタクローをする環境は全国的に見ても稀であった。彼の進学した大学にも当然のようにセパタクロー部はなかった。
大学3年のころ,仲間を誘って「セパタクロー新潟オープン選手権大会」を観戦に行き,初めて生のセパタクロー,寺本選手と出会う。それから
仲間を集め大学にセパタクローサークルを設立。翌年には活動が認められ大学公認の部となる。
大学を卒業後地元である尾道に帰省。競技を続けるべく広島県初となる今団体を設立する。
現在は市内小学校に勤務する傍ら,選手としても現役である。
選手としては「セパタクロー埼玉オープン選手権大会,優勝(3位トーナメント)
「関西大会準優勝(3位トーナメント)と,そこそこである…。
その他,メンバーである尾道大学の学生もサポートスタッフとして子どもたちの技術指導にあたります。
入部の条件
スポーツ保険への加入(年会費 円)
練習場まで送迎していただけること(近所での乗り合わせ可)
勉強を第一に考えること(学校での勉強をおろそかにする者は休部もしくは退部していただきます。)
「楽しい」ことと「ふざける」ことを区別すること
誰もが初めて体験するスポーツ「セパタクロー」
私たちと一緒にいい汗を流しましょう!